国際ヨガ協会

エッセイ2015年度

ヨガエッセイコンクール 2015年度 入賞作

2015年度エッセイ部門 最優秀賞
トレーニングコースを終えて

大和学園 浦野昭子さん


 考えていた通り、その日は早くやってきた。が、まさかこんな気持ちでトレーニングコースを終了するとは思ってもいなかった。課題は沢山あるし、まだ道半ば との思いが強く、どうも納得がいかない。周りの人たちは「おめでとう!」というが、かなり抵抗感がある。やはり究極のエンドゲイナーだ。時間と共にその気持ちは薄らいできたが…。リカさんの本に「道中に多くの標識がある旅のようなもの」と書いてあった。今は正直言って終わりなき旅のスタートラインに立ったのだ!という思いだ。
 何かにつけて「こうでなければいけない」の生き方をして、背中を短く、狭くして生きてきた。年を重ねることは、そういうことなんだと自分自身に言い聞かせつつ、自然な現象だと理解していた。
 自分を知る、自分と向き合う、気づきの3年間。このことに最も時間を費やしてきたが、わかりかけてきたのは、つい最近のこと。それまで全然光が見えず、私はいつになったらわかる日がくるのだろう?と思いながら続けてきた。体については実感があるので、何となくあぁ!やってるな…と理解できるようになれたが、考え方については、わからない部分が多い。ATの原理に基づいた考えに修正しながら、少しずつ時間をかけて進むしかない。
 習慣は完全にやめることはできない(3年前は止められると思っていたが)。日常生活の行動の中で、習慣はいつも私を襲ってくる。ありがたい?ことに体がすぐに教えてくれる。意識を感覚に向けて、よくない習慣の力を弱める。やるべきことが立て込んでくると、それらを無視してしまう。確かに、よくないことは減ってきたように思うが、問題もある。感覚にシフトする時、どうも思考で作り出してしまう。その方が楽だから…。静かになるワークの時、割と静かに居られて、起こった現象を追うこともなく普通にできていると思ったが、ハンズオンをする時、どうしても結びつけることができなかった。同じことをしているとは思えず、実は静かになっていないのか? 私の指先は何かをしたがっている。よくないことをしているのに、指摘されても気づけない。時間をかけて、実感が伴って、理解して、その言葉の重みを知る。「あ!そうだったのか。」そして原理に沿った体の内側の見方に辿りつくまで、先生方は必要な遠回りをして、ひたすら時を待っていてくれていたのだ。本当に忍耐強くないとやっていけない世界だ。先生方のたゆみない努力に敬服する。内側の感覚も少しずつ変化がわかり始め、うごめき、流れ、そしてプライマリー・コントロールが機能しはじめてくると、意識は自然に感覚優位になってくる。どんどん楽しくなって、2年過ぎた頃にはとても前向きな気持ちになってワークが私の生きるエネルギー源になっていた。
 ATは生き方そのものだと思う。この思いを優先して生きていくと、全てに安定感があり、自身の考えも揺るがないものに変わっていく。おだやかな中にも確信に満ちた強さも生まれたように思う。更に人に伝えていくこともとても大切だ。
 何をしなくても3年間はあっと過ぎてしまう。それならば挑戦してみよう!!と決心したのがついこの間のようだ。この道を選択して本当に良かったと満足している。先生方に感謝の気持ちを申し上げたい。ありがとうございました。これからも先輩たちが学び続けているように、私も続けたいと思っている。何と言っても道半ばだから。
 

2015年度自由表現部門 最優秀賞
カボチャ

広島八本松南支部 金光廣子さん


 

2015年度エッセイ部門 優秀賞
スリア・ナマスカル

長野伊那支部 牧田美保さん


〈以下はある意味での試論である〉
スリア・ナマスカルとは、ヨガの太陽礼拝の一連のポーズを指す。昨夜飲んだ眠剤の残っている体は、緑茶を濃い目にだして啜ってもその眠気に勝てない。ヨガ歴五年の私、「今日はお休み!」とベッドに入ったが十二、三分まどろんでハッと起きた。
「今、日が昇る!」あわててヨガマットを持って庭に出た。まさに日が登らんとする直前だった。私は気をおちつけてスリア・ナマスカルを始めた。今朝は目覚めても小鳥たちの囀りは一切なかった。
「いよいよの『沈黙の初夏』か・・・・・。」庭の南の方からリュウちゃんがあらわれた。一歳になる牝猫である。
「やあ、リュウちゃんか。お早う。」
ふたことみこと会話して、私は自分以外の生命体の息づかいに安心した。
「リュウちゃん・・・・・。」
リュウちゃんは昇ってきた日輪、私が一度(礼拝は普通偶数回である。そのワンセット)礼拝した日輪と私とを結ぶ一直線の上に座った。三点は正確に一直線上にあった。立ち前屈からコブラのポーズに入る。膝、胸、顎、額を地につける。コブラが鎌首を上げるが如くの意のポーズに蛇の血をのんだ私は、太陽を目指す。大地を恥骨で押しながら顔を上げていく。
「リュウちゃん?!」
太陽が一匹の猫に隠れていた。あの猫の座り方、後ろ足を人間では不可能な方向に折りたたんで前足をまっすぐに大地にのばして揃えて置く座り方。古代エジプトの猫、ネコ、ねこ・・・・・。太陽を光背にして猫はなにか物言いたげであった。
「美保ちゃん。」
微かな風を感じた。猫の野生の産毛の懐かしい記憶、柔かい体毛の一本一本がきらきらと光っていた。
「今、この瞬間、この猫が存在の全てをつかさどり、存在の全てであり、神であったとしてもおかしくない。」と私は悟った。リュウちゃんは逆光のグレーゾーンにあった。そして日輪を背負っていたのだ。
ああ猫のリュウちゃんが神であり、私は神に全存在をゆだねて今、地に這っているのだ。この普通の何でもない半ノラ猫が。
その時!そこには、もう、リュウちゃんの姿はなかった。リュウちゃんはいなかった。初夏の日輪は慈愛に満ち受容的で、ふるえていた。いや、冷酷で寡黙で全てをシャットアウトしていた。
私はこれから一時間もしたら、リュウちゃんたちソトネコにいつものようにミルクをあげるであろう。猫は今夜、家の外の草叢で眠るとき、今朝の出来事を思い出すであろう。しかしその想念の中に何の真実が物語られているのかは、誰も、神ですら知ることはできないのだ!!!
神が作用したとしたら、日輪と、リュウちゃんと、五体投地の起源のポーズに地に這っていた私の頭が正確に一直線上に位置していたという事実をあげつらうのみである。
(了)
 

2015年度自由表現部門 優秀賞
ヨガの光

安芸支部 小池昌子さん


<一句>
老いて尚 ヨガの光を 吸い込んで

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