国際ヨガ協会

ヨガエッセイコンクール 2013年度 入賞作

2013年度・エッセイ部門 最優秀賞
“断食のススメ〜私の断食体験より 

栃木中央支部 前沢英子さん(トレーナー)

初めて体験した時(京都)の衝撃が忘れられずにすっかり断食にはまり、3年続けての参加。そもそもの始まりは過食が止められないことからでした。ヨガである程度の心のバランスは保っているつもりでした。でも、いつもギリギリ状態。そんな自分に嫌悪感。「ヨガを教えている資格なんてない」と方向違いの思考回路に陥っていました。どうにか一歩抜け出したい。そんなとき、目に留まった瞑想断食。「食事への接し方が変わると心・人生が変わる」これだ! 食の意味を問いたい。わかっちゃいるけど止められない、食べちゃう心って何だろう、そんな思いでした。
行く前に5つの疑問を考えていました。

  • 疑問1:お腹がすいて眠れないのでは?

    枕が変わると眠れない私でも、断食中はグッスリ。呼吸が深くなるからなのか、余計な事を考えなくなるからなのか、断食は断心でもあります。
  • 疑問2:本当に何も食べないの?

    48時間は空腹にしないと、体の切り替えスイッチが入らないようです。中日にいただくトマトジュースの美味しかったこと、トマト嫌いな人も好きなってしまうほど。
  • 疑問3:ダイエットできる?

    ダイエットそのものにはならないけれど、そのための体づくり、心づくりはできそう。実感としては、やせるというよりゆるんでいた細胞が引き締まったという感じ。
  • 疑問4:復食は?

    この断食では一般的なお粥ではなく、これでもか、というほどの大根汁、梅干し、生野菜などをいただきます。食べることのつらさも味わえます。そしてその後は…。2泊3日で、食べないこと、食べること、排泄すること、人間が生きる上での極限を体感しました。
  • 疑問5、というか迷い:参加費が高い

    いちばん切実で現実的な問題。間際になると、同じ時間と料金なら、美味しいものを食べる旅行にすればよかったかなぁ、なんて思ってしまいます。でも終わってみると、そんなことは吹っ飛んでいました。普通の旅行だと食べ過ぎでむくんで帰ってきますが(私だけ?)断食は身も心も軽く爽快感だけです。それに少食になってエンゲル係数は下がるし、長期的に見れば、医療費もかからない、かもしれない。つまり、健康を買う旅行なのです。

いざ合宿に入ると、不思議と「食べられないどうしよう」という思いではなく、「食べることを考えなくてもいいんだ」と、ほっとした感じがありました。習慣や思い込みが、自分をがんじがらめにして支配していたんだなぁ、満たされない何かの代わりに、詰め込んでいたんだなぁと、気づけました。終わってみると、意味もなく幸せ感が広がっています。ポジティブ思考になるのでもなく、プラスでもマイナスでもないゼロの状態。フラットで平和なものが自分を包んでくれました。それは心地よい、初めての感覚。体はしっかり大地につながっているけれど、フワフワと軽い感じ。
しかし人間とは悲しいもので、時が経つと元の習慣に逆戻り。また、ささくれ立った頃、2年目は高野山。行くだけでパワーが漲りそう。瞑想の意味を深めよう、と出かけた。3年目は四万温泉。すべての垢を流してしまおう、湯治気分。こんな感じで3度続けていくうちに、心を立て直す時間が早くなってきたように感じます。今までできなかったアサナが、ある日突然できたことがあるように、心にも同じような現象が起きてきました。ふとした気づきがあったり、物事を見る方向が変化したり。でもそれは何もせずに降って湧いたものではなく、積み重ねてきたことがパッチワークのように繋がり、でき上がってみたら綺麗な図柄になっていたみたいなことだと思います。
ダイエット効果は(リバウンドもあったけれど)7kg減。心も体も変化には時間が必要。慌てず騒がず倦まず弛まず進もう。今は、締まる体、ゆるむ心、体の内側に起こる変化が楽しい。

2013年度・エッセイ部門 優秀賞
幸せに思えること

大阪南学園 西野 緑さん

私はヨガが大好きです。 体がゆるむ感じ、つながる意識、味わう感覚、ヨガを続けることによって、感じ方も変わってくるからです。
私がヨガを始めたのは1999年。その頃の私は、腰椎椎間板ヘルニアを患い、寝込む日も多く仕事もやめ、自宅で療養中でした。動けないこと、働けないことに不安を抱え、両親の世話になりながらの暮らしでした。手足が冷たく、寒くて目が覚め、右腰から右足にかけていつも突っ張った感じがあって、しびれもあり、ここに坐骨神経が通っているんだ、などと考えていました。28才の私。
最初のレッスンのとき、サヴァアサナのポーズをとると、とても不思議な感覚がありました。頭や体は痛みからから離れ、すごく気持ちよく地面に吸い込まれるような、土に帰っていくような、何だか、なぜだかわからないけれど、宇宙を感じました。自分のなかに入って行こうとするのか、外へ出て行こうするのか分かりません。とにかく心地よく感じました。
教室では、先生が「あなたはひざを立てていい」と言ってくださり、他の人たちについていけない時は、私にできる動きに変えて頂きました。続けるうちに徐々に寝込む日が減ると同時に、ヨガは私の生活になくてはならないものになりました。2004年に結婚し、2005年には妊娠しました。おなかの赤ちゃんと一緒にするヨガは、それはそれは素敵でした。出産の前日までヨガをしていたお陰で、とても安産で、まるまるとした元気な女の子が生まれました。私にとって、いえ、周りの誰もが、奇跡で幸運なことだと思えました。
2009年に二人目の女の子を出産。この頃には、脚を伸ばして仰向けで眠れるようになりました。それが嬉しくてなりません。布団に入ると、小さな子供たちにはさまれ、ぽかぽか、にこにこです。
今年、昇段試験を受けました。今まで長い間、ゆっくり見守り、励まし、ご指導いただいた先生から「この試験を受けて大丈夫だったら、西野さんの腰は大丈夫よ。背骨が強くなったことの証明よ 」と言って頂きました。私は長い間、腰痛に苦しんできました。先生のその言葉で希望の光がさし、心がぱっと明るくなりました。10年以上、よく私の体を観てくださった先生の言葉だからこそ、私にとって救いの言葉でした。どれほど嬉しく、心強く思ったかしれません。
腰痛は、完治ではなく、疲れたときには痛みだしますが、それを嘆くだけでなく、受け入れ、直視し、心も肉体も強さに変えていきたいと願っています。
私にはヨガがあるし、先生もいる。そう思うと、明るい未来に一歩を踏み出した気持ちです。自然を感じ、体の声を聞き、家族の笑顔と共に居る。そんなふうに暮らしていきたいです。 

 

2013年度・エッセイ部門 優秀賞
今の感覚に集中し、今を生きる

大分西支部 大久保貴史さん

今の感覚に集中し、今を生きる。これが、私がアレキサンダーテクニックから学んだ最も大切なことだ。
綺麗な花や美しい緑、透き通るような青空を感じることができるのは、今を生きているからだ。
親しい人との会話やふれあいを感じることができるのも、今を生きているからだ。
こうした感覚は、幼い子供の頃には普通にあったのだろう。しかし、思春期から大人になり、いろいろな体験を重ねる中で、今を感じることよりも、頭の中での考えごとをする時間が次第に増えていった。
楽しい考えごとなら気分もいいだろうが、たいていは過去の出来事を思い出し、反省や後悔をしているのであった。未来のことで不安を抱いていることも多かったように思う。人と話をしていても、頭の中では他のことを考えていることもよくあった。妻と会話をしながら、適当に返事をし、後で何も聞いていなかったことがばれることもあった。考えごとをしていると、ついつい手で頭をカリカリと掻いてしまう癖があって、妻からよく注意されていた。
こうした状態を改善するためには、今の感覚に集中することが効果的だ。
アレキサンダーテクニックでは、床に仰向けに寝そべって、ゆっくりと呼吸をしながら、手足の感覚や体の皮膚感覚に集中するレッスンがある。頭に考えごとが浮かんできても、できるだけ感覚の方に集中し、それ以上に思考が進まないようにすることが大切だ。
最初はなかなかうまくできなくても、次第に手足の微妙な動きの違いがわかるようになった。自分の体への感度が上がり、体が発する微妙なサインを感じることも多くなった。また、耳や目の感覚も次第に研ぎ澄まされていったのである。
こうしたレッスンを繰り返すことで、今の感覚に集中できるようになり、私の思考癖もかなり改善されていった。
もちろん、今でも毎日の出来事のなかで、落ち込んだり不安になったりすることはある。しかし、切り替えが早くできるようになり、多くの場合、翌日には持ち越さなくなった。
以前は、街を歩いていても、周囲をぼんやりと見ながら、頭の中では違うことを考えていることが多かった。今は、周囲の景色や行き交う人々の姿をしっかり感じながら歩いている。
とても幸せな気分だ。
今の感覚に集中し、今を生きる。この感覚を取り戻す方法を学ばせていただいたアレキサンダーテクニックに感謝している。そして、この出会いのきっかけを作ってくれた妻にも感謝している。 

 

2013年度・自由表現部門 優秀賞
出会い・ふれ合い・巡り合い〜ヨガと自然とともに

岡山・吉備学園 岡田洋子さん

習ふより 慣れよと母の 曼珠沙華

初めて、道が遠くに感じられた。アーチのポーズ・片足上げを見た時、「私もしたいな。でも、六十路坂には無理だなぁ」と、思った。おまけに、腰が痛くなった。できていたポーズもできなくなった。遠く遠く感じた。その時、
「習うより、慣れよ。好き二そものの上手なれ」と、母がよく言っていたのを思い出した。そして、「ラーマコースがありますよ。」「教室では、70代の生徒がアーチのポーズをされますよ」と、励ましのお言葉をいただいた。私は思い直し、生活の中でできるヨガをするようになった。
いつも教室の帰り、お気に入りの喫茶店でコーヒーをいただく。真っ赤な曼珠沙華が目に飛び込んできた。

つつがなく 咲く花カンナ 天をつく

故郷・四国中央市川之江町には、よくカンナが咲いていた。2つ上の姉に、カンナの苗をもらった。3年目、我が家でも蕾がすっくりと伸び、赤いカンナが天をつくように咲いた。
天に合掌する。この世のことは、すべて天のなさること、受け止めよう! 受け入れよう!

風に揺れ おいでと招く 桔梗かな

花は言葉を持たぬが、人間の言葉がわかるらしい。よく篤農家が、稲を見て何を欲しがっているか、わかると言う。
ある目、桔梗が2つ咲いた。農作業の後涼んでいると、「おいで、おいで」と、私を招く。近づいてみると、「見て、見て。きれいに咲いたでしょ」と、言っている。紫色の笑しい花が、風に揺れ、今ここに生きている。

芋洗ふ ヨギーニに 雲流れゆく

1キロ・2キロ級の蒟蒻芋がゴロゴロしている。「そうだ、コンニャクを作ろう。」蕎麦殻灰汁の自然風味なコンニャクが作れるようになった。
人間は、食べ物のお化けとか。そう言えば、インナームーヴにもいつもヨギーニの献立が載っている。私も目指してみよう。
毎日3食に、豆・胡麻・若芽・野菜・椎茸・芋、つまり、“まごわやさしい”の食材を使うように決めた。日記風に書き、できたら星マークをつけた。そのノートが二冊目になった。
(なんて、こんなに食を大事にしているのに、衣食住なんだろう?)
(食が二番目で、衣が一番目なのだろう?)
この答はなかなかでなかった。
ある雑誌に、もし、あなたが皮を剥がされたら、どうだろうと、書いていた。私はゾッとした。じゃが芋の皮を剥くと、すぐ変色する。つまり、皮膚は生命体を形づくる。それを守るから、衣が一番なんだ! 私流に納得したのだ。形づくりがあって、体の中の空間もできると言うものだ。
それからと言うもの、手洗いの洗濯やアイロンかけやちょっとした針仕事が、苦ではなく、楽しくなったのだから、不思議なものだ。

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