国際ヨガ協会

半分“大地の子”の私

下田支部 支部長 森靖子

もうふた昔位前のある朝、NHKテレビに釘付けになりました。“お母さん私を探しに来て!”と切々と訴える中国残留日本人孤児。自分と同じ昭和十七年生まれの女性でした。同じ年代ということが私にとって衝撃的でした。“4歳でこんなに大きなリュックを背負って引き揚げ船に乗ったのだよ。良く頑張ったね”と手縫いのリュックを見せながら無我夢中で過ごした引き揚げ船の時の苦労を、折にふれて聞かされてきました。何度も繰り返し聞かされた為、話しの順序や地名などは記憶しているのですが、あまり実感として受け止めていなかったのです。戸籍謄本をみると“出生地・満州国奉天”と記載されており、みんなとちょっと違っていて、自慢のような優越感を覚えるような、という認識しかなかったのです。
終戦直後の混乱期に父は、ソ連に抑留されて、私達が日本に戻ってから、更に三年後に舞鶴港に着くまでは、生死不明だったそうです。母は女手一つで、七歳、四歳、一歳の子供を連れての帰国でした。揃って祖国にたどり着くことができたのは、奇跡的なことだったのでしょう。真夜中の移動も度々あって、ちょって手を離すことで、はぐれてしまうことも容易に想像されます。“お母さん、連れて帰ってくれて本当に有り難う”と思わず実家に電話をかけていました。後は、涙で何日も喋れません。今まで一番素直に言えた“ありがとう”だったように思います。
不惑の直前に巡り合えた国際ヨガ協会の研修旅行の初日が、四十歳の誕生日で、アジア大陸で迎えました。大陸で生を受け、又、節目の時を大陸で迎えたことに、運命的なものを感じます。薬学を学び、薬局に嫁ぎ、健康産業の一翼を担い、本物の健康法を種々模索したなかでやっと辿り着いたヨガ道でした。
還暦を過ぎてもう大代の人生ですが、今まで忙しさにかまけて怠けていたぶん、気を入れて先代が残してくれた英知を理解し、自在に使いこなし、更に伝達してゆけるよう研鑽を積んでゆきたいと思っています。“生涯修行・臨終定年”の精神で頑張ります。

インナームーブ号より