[1]ヨガにつながる水泳の世界
長野中央支部 橋住さだ子さん
 下の子が生まれてから始めた水泳は、ヨガとともに私の生涯の友と決めている。しかし子どもの頃から泳いでいる人たちとは違い、大人になってから泳ぎを覚えることは、なかなか大変である。ある程度の泳ぐ力は、真正面に練習を重ねさえすれば身に付くものである。だが、それ以上の泳ぎを極めようとすると、それなりの泳ぎと向かい合う姿勢が求められる。それは、体力や筋肉の向上の他に「考える力」が必要である。そこからヨガと水泳は全く異なる世界でありながら、相つながるものも見えてくる。
 その一つが「身体の力を抜く」ということ。単純に、速く泳ぐには力任せに泳げばいいかと思われるかもしれないが、ただ力を入れて泳いでも、身体と水とが喧嘩をして逆に抵抗を生んでしまう。ところが人間の身体は力を入れるより、抜くことの方が難しくできている。それでなくても、ヨガの先生に「あなたはムキになるタイプ」といわれている私にとって、これは大きな問題であった。最小のエネルギーで、最大の推進力を生み出すには、これは絶対的な課題であり、大袈裟にいえば私の人生哲学につながっている。 
 もうひとつが「気持ちがいいのか自分に問う 」ということ。先生に「自分の身体がどう感じるのか、気持ちがいいのか、痛いのか、どう変わったのか」とよく聞かれる。同じように、泳ぎながら私は自分に問いかける。今の泳ぎは気持ちがいいのかと。気持ちのいい泳ぎとは、ただ単に楽な泳ぎというのではなく、水の塊と塊の間に自分の身体がすーっと入っていき、水中に魂が解放されるような感覚である。この「気持ちよさ」を求めながら、「自分を見つめること」は大切にしている二つの柱である。
 最後の共通点は、ヨガも水泳も「仲間の存在の大きさ」というものがある。どちらもひとりでするものである。しかし仲間と一緒にやることで楽しさも増し、また仲間から教えてもらうこともたくさんある。同じ動きをしても、人それぞれに響く場所が違う。つらく困っていた人が、しばらくして身体が楽になったりした姿を見ると、みんな自分のことのように喜ぶ。ちょっと手を抜いて泳ごうかなと思っても、みんなでサークルの練習を始めて気が付くとその日のメニューを消化していたりする。時には練習はさておきおしゃべりに盛り上がることもある。仲間がいるから楽しい。仲間がいるからこそ続けて来れたような気がする。 
 泳ぎを始めてクロールからバタフライまで4泳法がなんとか泳げるようになった時、水泳をほぼ習得したと思った。しかしすぐにそれが間違いであることがわかった。自分はまだ水泳の世界の入り口にいたのだ。軽い絶望感を味わいながら、一方で楽しみを見つけた水泳の世界、だからこそ一生かけて一つ一つの発見を積み重ねていこうと。時間はたっぷりある。ヨガを極めているばずの先生ですら、常に何かを求めている。新しい発見がある。そんな姿を見ていると、人間は「解る」ことより「解ろうとすること」が大切なのだと教えられる。
 金曜日の夜、私たちはくぬぎ林の中にある集会所に集まってくる。一週間分の疲れでコチコチになった身体を引きずって。ここで身も心も軽くしてまたそれぞれの家路へ帰ってゆく。こんな生活を大切にしていきたい。

ヨガエッセイコンクール 2001年度[最優秀賞]

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