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健康自衛時代 |
| 最近になって医学界でも、適度な運動が健康を維持するだけではなく、病気の治療にも役立つことを認めるようになってきた。しかし現代人は電気釜で炊飯し、オーブンで料理し、クーラーやヒーティングで屋外に出ず、買い物や勤め先には車で走り、階段はエレベーターになり、太ったらサウナで寝ころんでマッサージを受け、少しでも動かないようにしている。 アメリカでは毎年百万人近くが心臓循環器の病気で死亡し、さらに三百万人以上が精神病や脳溢血をおこして廃人となり、十代の青年男女が神経のいろいろな病気、ノイローゼや不眠症に悩んで仕事もできないでいるという。 日本もアメリカのあとを追っていることは言うまでもない。空にはスモッグ、地には水銀、PCBなどがいっぱいだ。男は朝食を流し込むや満員電車に揺られるか交通渋滞のなかをイライラしながら通勤し、会社に着くとノルマ消化と出世競争に明け暮れる。疲れて家に帰ればテレビ、ラジオ、新聞がめまぐるしく政治だ、戦争だ、犯罪だとがなりたて、落ち着いて考える暇もない。女は家で汗も流さず家事が片付き、甘いケーキとおしゃべりを楽んでいるかと思えば受験戦争に子供以上に熱を入れる。たまに家族がそろう休日には大混雑のレジャー合戦に割り込んで疲れて帰宅するだけ。子供たちだって疲れ果て、青少年犯罪が増えるいっぽうで過食と運動不足と食品公害、生活公害で肥満になったり、朝礼で15分も立っていられない虚弱ぶりである。 しかし社会を責めるのではなく、あなたはまず自分を正しく立て直さなくてはならない。現代人は一人残らず「半健康人」「半病人」なのであるということを自覚しなくてはなるまい。霊長、などと自らを呼ぶならば「自分にかえる」「自分を探求する」「身体や心の内面を観察する」「自分が生きていることの意味を考える」ことに努力しなくてはならないのだが、まずは自分の問題を自分で解決する姿勢をもつべきではないか。長い間自分の不心得であちこちを悪くして、自覚症状が出てきたらまるでひと事のようにすぐ病院に駆け込む。与えられる注射や薬をありがたがって、安楽な他力本願で病気が治ると思っている。病気はほかのだれかが治すものではなく、身体自身がもっている治るはたらきを手伝うだけだ。薬や医術は本来、補助的な役割をするにすぎない。 病気をほんとうに治すことができるのは、病人自身の生命力なのだということを忘れてはならない。 その人が正しい生活を送り、正しい食事をとっていれば、全身の神経や血液やホルモンが調和を取り戻し、生命力は高まって病気は治ってゆくものなのだ。ところが世の多くの人は医師に任せて「果報は寝て待つ」ようである。その頼りの医療はいまや経済活動となって、昔、仁術と呼ばれたことは忘れているようだ。ひとり一人は高い理想を抱いて医師になったはずだが、現代社会では病院も経済活動として成り立たないと続かない。宗教も、芸術も、教育さえもが同様だが、医療も例外ではない。人類の幸福のための芸術や宗教、医療行為の結果として利益が生じるのではなく、初めから営利が先にたっているのだ。現在の保険制度では、「病気」を診るだけで「病人」は見失われてしまう。私がヨガ健康法を叫んでいるのは、このような人間無視の現状への反発からである。 |
| 「ヨガ健康法とは」(昭和51年刊) |
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ヨガ健康法 |
| 今、私は日本や海外で健康法の指導に当たっているが、わずか数ヶ月で体調がよくなった、慢性病が治った、待望の子供ができたなどという多くの報告を受ける。これはご本人が指導どおりに取りくまれた結果であり、私たちからすれば当然のことなのだが、当初は苦労もあった。それは、どのアサナ(ポーズ)を誰がどれ位すれば効果があるのか、どのような経過をたどるのかなど、科学的・客観的に表現することができなかったのだ。アサナや呼吸法の良いことはわかっても、さまざまな体質、症状をもった個々の生徒に、アサナの種類、強度、頻度などを示すことができなかったのだ。インド各地のヨガアシュラム(道場)を探し求め、数多くの文献を持ち帰ったが、そこには一般的な効能や宗教的な抽象論があるばかりで、参考にはなっても現代人の健康法として相応しいものは見つからなかった。 ヨガ教室も一旦初めても続かない人が多かったが、それは個々の問題や目標を指導者が具体的に示すことができなかったためだと感じた。なんとしても解決すべき課題だった。 私は内科や婦人科の医師、カイロプラクティックなどの物療士や鍼灸師、脳波測定技師などの人々と協力して多くのデータを集めた。アメリカの空軍でおこなわれた有酸素運度についての研究データも参考となった。これらにインド古来のアーユルヴェーダ医学やインドや欧米において整理再編されたヨガの実践理論のなかから優れたものを選び出し、沖正弘氏とも協力して「国際ヨガ美療学会」を発足、自分で確立していた「個性美学」理論とも照らし合わせながら、いまも完成を目指して研究を続けているところだ。 |
| 「ヨガ健康法とは」(昭和51年刊) |
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私の出発点 |
| あれは昭和24年の11月、成城学園前の撮影所の役員室の小さなテーブルの前だった。小林一三翁は白髪温顔の目を輝かせて、私に言われた。「映画は顔の芸術だ。顔で喜怒哀楽を表現するだけではなく、その人の考えや身分や生活や病気をあらわさなくてはならない。ところが顔の研究はできていない。松島君、きみにその研究を命じる。」 私はまず東洋相法と人相学と骨相学から勉強を始めることにした。しかし、これらの世界には合理的な進歩はなく、データと呼べるものは何も見つからなかった。次に中学の先輩、皿井長四郎博士を頼って、生徒2人の神経生理学講座を受講することができた。その結果、多くのことを学んだが、同時に医学も人間について分からないことのほうがはるかに多いということを知った。身体の仕組みが分かれば人体が分かるというなら、解剖学者がもっと多くの医学的発見をしているはずだ。検査する機械も次々と開発されている。しかし、生きている人間と死体では性質が変わっている。筋肉と骨格、内臓と皮膚の“生きた”関係など、ほとんど何もわかっていないといってもよいくらいだ。「なぜ病気になるのか」という根本的な問題も意外と難しく、カゼ一つとっても、その仕組みが分かっても予防できないのが現状だ。多くの医学博士に食い下がったが、最高の病院でも「半分以上は誤診だよ」という答えが返ってきた。科学のなかでも、生きた人間を扱う医学はもっとも遅れている分野ではないかと思う。必死になって顔に取り組み、人間に立ちむかったが、仕事と研究の二本立ての過労から昭和29年から31年にかけて、白内障を患い、腎臓病になった。研究の結論は出ず、会社も辞めざるを得なくなり、何度投げ出そうとしたことか。 ようやく今、顔から読み取れる指数を入力するとその人の個性やかかりやすい病気などをコンピュータで打ち出せるところまできたが、人間の研究の前途ははるかに続くと感じる。 |
| 「ヨガ詳論・中」(昭和57年) |