T.R.Y. に時代を映して
T.R.Y.への出講が続いています。どの会場でも、ヨガに対して新鮮な感覚をもっている人たち過ごす3日間は、私自身も新鮮な気持ちを取り戻す思いです。
緊張のあまり、歩き方までぎこちない初日。班のメンバーとも打ち解けて、体は疲れても目はイキイキとしてこられる2日目。そしてあっという間に時間が経って、別れを惜しむ最終日。明日にでも教室を持つゾという意欲を燃やして踏み出される方があれば、もういちど自分の生き方や家族との関係を見直そうと、ヨガ以前のテーマを抱えて帰られる方もあります。どのように再会する(あるいは二度と会うこともない)にせよ、意を決して参加されたことをなんらかの意義をもつものにするべく、講師陣には全力投球に値する3日間です。
ところで、この頃の受講者に気になる特徴は「体力の無さ」と「心の揺らぎ」です。
今の若い人たちの基礎体力の無さは深刻。先生も教室で嘆いておられるに違いありません。深部のコア・マッスルと呼ばれる姿勢保持に欠かせない筋肉群(赤筋=遅筋)が弱くて硬いということは、どのアサナをしても苦しいに決まっています。現代文明は体力を要しない生活を目指してきたわけで、いまさら井戸の水汲みや雑巾がけのような生活習慣を復活させるわけにもゆきませんが、教室に、なんらかの対策を求める必要がありそうです。すでに師範会ではヒソヒソ話で「昇段審査」にネジリ腹筋やスクワットのような反復運動を加えようか、などと話しています。
心が揺れるのは“団塊”後、私の世代以降の宿命でしょうか。食べ物や身の回りのモノに不自由なく、たいてい子供部屋が与えられ、学校でも競争は少なかったので、人とぶつかることが不得手です。理屈は知っていても、必死にならないといけないような体験がなかっただけに、ちょっとしたことで心がすぐに揺れてしまいます。いわゆる“癒しブーム”はこの世代の流行なのですが、“現実逃避ブーム”だと言えるのかもしれません。コンピュータやケータイなどのバーチャル(仮想現実的)な道具も一役買っています。
彼女たちに「ヨガはなんのために続けているの?」「指導者になってどうするの?」と問いかけても、答えは返ってきません。どこかバクゼンとした感じが年々強くなっています。
ただ、救いがあります。そんな“虚弱”な人たちも皆、「先生を尊敬して」「先生にあこがれて」TRYに参加した、とはっきり言われるのです。教室での先生との出会いに対して、ほんとうに純粋な気持ちをもっています。自分が、体・心ともに弱いことを自覚できたのは、そして体・心ともに強くなれることを信じられたのは、先生に出会えたから。自分の弱さを教わって初めて、人は自分で歩みはじめることができます。
確かなものがない時代。ヨガ指導者の責任はこれからも重くなってゆくいっぽうでしょう。だから先生たちも一緒に体・心を鍛えてゆきましょう。